数学ネタ
単発では不足っぽいのでいくつかまとめて。
数学ネタ1
モンティホール問題と呼ばれる議論があることを聞いた。
当たり1つを含む3つのボックスがあり、
1.回答者は3つのボックスの内一つを選ぶ
2.当たりを知っているゲームマスターが選んでいないボックスの片方(当たりでないもの)を開く
3.回答者は選ぶボックスを変えることができる
ここで、変えるべきか否か、というもののようだ。
変えないと1/3、変えると2/3(当たりが開くことがないため)なので、変えるほうが良い、
なのですが、数学者でさえ確率同等と間違える人もいるとのことを聞いた・・。
ちなみに当たりも同等の確率で開く&開いたものを選べないという条件でだと変えても変えなくても1/3ですが、
ゲームとしてはそれは多分ちがう。
うーん、でも考えたら、「数学者でさえ間違える人もいる」というのが言及する人を増やす要因になってるのかな。
当たり前に理解できる人には「そういう数学者より理解できている」という自負に繋がりやすいので発言したくなる。
となると自分もその一人か。
数学ネタ2
Aの射程が無限遠、Bの射程がAの半分、みたいな文言が何かのアニメにあったらしく、
それに突っ込んでるコメントを見たことがある。
どちらもどこまでも飛んで、スピード比が2:1なら矛盾しない。
数学ネタ3
0の0乗が1だとか0だとかいう議論があるらしい、高校の時に先生から聞いた。
x^y=zを連続的に描いたらx=0,y=0でzは0から正方向垂直になるので、
正の数(厳密に検証してないけど自分は0も含むと思っている)ならどの数もとる。
いわゆる不定だと思うんですが、0だけを取るとか1だけを取るという考えが根強いようだ。
数学(量子物理学?)ネタ4
観測者と呼ばれる概念があるもよう。
観測するとランダムであるものの観測結果がランダムにならないことから生まれた概念っぽい。
観測するのに粒子を当ててエネルギー状態に副作用を生じているから元の状態から変わっているというのはそうだろう。
しかしこの概念はなぜかその「観測により変化した状態」と「元の状態」を混同しているように見える。
だから、観測者がいない状態でなぜ宇宙が始まったのか、という宗教っぽい議論が生まれる。
というか観測者という概念自体が宗教化しているように見える・・・。
本来は興味ある分野なのですが、宗教っぽさが強くて深入りしたくない感じが。
2023/08/26